思い出の校舎
左が事務室、右が体育館。戦前、戦後生まれが学んだ校舎は木造校舎だった。道路は泥道、自転車通学も稀で、一部バイク通学者が見られるようになった。が、ほとんどが徒歩通学。しかし、きついとは思わなかった。
グランド側の校舎は1年生
A君「よーい、おしゃ、だいか、好いちょいとはおらんとか」(君は誰か好きな人はいないのか)
B君「おいとたい、ばってん、そん人ん、おいば好いちょいなん、かが、分らんとたい」(いる。けれど、その女子が私を好きかは分からない)
昭和24年4月30日 長崎県立壱岐高等学校定時制(昼間)勝本分校設立。
昭和31年7月 1日 長崎県立壱岐北高等学校と改称。
昭和34年4月 1日 長崎県立壱岐商業高等学校設立開校。
昭和37年7月10日 鉄骨造り平屋建て体育館竣工。
昭和38年6月13日 鉄筋コンクリート造り2階建て管理等竣工。
昭和41年3月20日 運動場拡張工事竣工。
昭和48・49・50年と鉄筋コンクリートの校舎等竣工。
昭和54年11月22日 創立30周年記念式典挙行。
平成元年10月28日 創立40周年記念式典挙行。
平成2年 4月 1日 情報処理科1学級新設。
平成11年11月 5日 創立50周年記念式典挙行
*記念講演は、文部省初等中等教育局職業教育課教科調査官の吉野弘一氏(壱岐商業高等学校第5回卒業生)。演題は「壱岐の島が培ってくれた私の生きる力」
平成21年現在 各学年 商業科2クラス、情報処理科1クラス
卒業生は 県立壱岐高等学校勝元分校 142名
県立壱岐北高等学校 270名
県立壱岐商業高等学校 8467名
思い出の校舎
左が事務室、右が体育館。戦前、戦後生まれが学んだ校舎は木造校舎だった。道路は泥道、自転車通学も稀で、一部バイク通学者が見られるようになった。が、ほとんどが徒歩通学。しかし、きついとは思わなかった。
グランド側の校舎は1年生
A君「よーい、おしゃ、だいか、好いちょいとはおらんとか」(君は誰か好きな人はいないのか)
B君「おいとたい、ばってん、そん人ん、おいば好いちょいなん、かが、分らんとたい」(いる。けれど、その女子が私を好きかは分からない)